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「職務」

2017/02/15 12:38 コラム

「職務」


「職務」

異文化との共存と挑戦。せっかく、まさに学びが活せ、国際色をもたらすために採用されたのですから、自らの知識や経験をどんどんと発揮していきたいもの。でも、誰もが言葉ではわかっていても、なかなか苦労する「文化の壁」というものがどんな組織にも存在することでしょう。人がそれを変え、人がそれを継続発展してゆくのは間違いないと言えるかもしれません。一方、その「文化」とは、私が思うに、目に見えない空気であり、人々の心に気づかれずに潜んでなかなか表に出ない「安らぎ」でもある。それが形を変えることは、人によっては不快であり、恐怖であり、その人の全人間としての営みにも大きく関わってくるものかもしれません。あなたは、「明らかに”異質”を既存の文化へ持ち込む者」として見られるかもしれません。そんな中で、「郷に入っては郷に従え」と言う経営者が目指す「国際化」を進めるにはどうしたら良いか? 自ら発する様々な言葉、態度、行動における選択を考える必要も出てくるかと思います。そこには、もちろん「同僚にどう思われたいか」や「国際こども教育者として信念」にかかる思考も生まれることでしょう。そして、一見矛盾するようなその経営者が、実はその園での「融和と発展」を目指し、奮闘していることに気づくこともあるでしょう。人間が自らを知ることは大変です。新たなものを目指していても、知らないうちに、身の回りの文化(規則や多勢による価値観)を基準に意に反したり、一見矛盾したりした身を振る舞うこともあるでしょう。しかし、それはその人そのものであり、すべてをパッケージで見ることも大切かと思います。それには、何人も愛する「愛」の教育という本学の教育理念が力を与えてくれることでしょう。全てのこどもを愛し、同僚を愛し、自らの人間力を高めることで教育力自体が高まってゆくものでもあると思います。(実際の講義ではケース・スタディを元に、様々なシチュエーションを具体的に討論していきます。)

(以上の表現はあくまで筆者の典型論に基づくものであり、必ずしも全ての社会構成員や組織に同様に当てはまるものでは当然ありませんし、認知科学的に見れば、典型的概念自体も個人差や文化背景とともに複雑さを増せば複数存在しうるとも考えられるでしょう。)

「面接・雇用契約」

2017/02/12 12:35 コラム

「面接・雇用契約」


「面接・雇用契約」

まず履歴書ですが、北米では顔写真、性別、年齢、配偶者の有無はまずもって書きません。採用側も、しっかりしているところであればなおさら、そのような事項が書かれた物は受けつないような規則さえも明確化しているところもあるでしょうし、好みません。様々な差別につながるからでしょう。企業側も、問題となる要因となるので、当然、面接時にそのような情報がわかる質問は一切しません。してしまったら、場合によっては応募者から損害賠償を求められ、訴えられるかもしれません。この辺も、前項の「採用条件」で述べたILO条約に関して日本が批准していないものの一つです。そして、外国人を雇用する際の注意点として、「契約書と署名」の重要性です。日本の法律では口頭合意も一定条件を満たせばしっかりとした法的効力が認められるのが社会文化的にも認知されているかもしれません。お国柄にもよるでしょうが、例えば北米では、社会歴史的背景から先住民族を除いて、一般的に「契約書が命」です。面接で採用を伝え、OKの返事を得た、内定通知を送って、電話で次のステップを確認した。それだけでは、中には、何の躊躇もなく当然の権利として、採用辞退をする者も多くいることでしょう。両者が契約書にサインするまではあくまでフリー。どこかより良い条件の採用が他に決まれば、そちらへ行くのも当たり前と考えることでしょう。この辺りで、採用側と応募側の目に見えない駆け引きが生まれているかもしれませんよ。また、このような慣習な違いに気付かず、知らぬうちに外国人応募者に不信感を与えているかもしれませんね。日本でアルバイトや正社員などで採用された経験ある方は、ご自分の経験がどのようなものだったか思い出し、比較してみてください。また、例えば、北米出身者でなくとも、北米文化を国際文化の鏡として体得してきた者も少なからず近代の国際社会には存在することも一考の価値があるかと思います。自分が海外や、国内ですら国際的な企業に応募、採用される場合にも検討が必要なものかと思います。

(以上の表現はあくまで筆者の典型論に基づくものであり、必ずしも全ての社会構成員や組織に同様に当てはまるものでは当然ありませんし、認知科学的に見れば、典型的概念自体も個人差や文化背景とともに複雑さを増せば複数存在しうるとも考えられるでしょう。)